忍ミュ6初感想

第6弾初見時のストーリーに関する感想

【1月16日ソワレ観劇】

すぐ文次郎の話をしはじめてスミマセン。
ネタバレありだけど記憶がところどころ曖昧。




今回の公演で6年目ってことは、一年生が六年生になっちゃうね!と観劇後に話し合ったんだけど、卒業文集制作と六年生の一年生時の作文の存在が、乱太郎たち一年生と伊作たち六年生との間が時間軸で繋がったような感覚にさせてジーン……。

「今の六年生のいっこ上の先輩」「六年前に起きた事件」「今の六年生が一年生の時に書いた作文」の三つが出てきてゴッチャになってしまった!


でも過去の先輩が文字に書き起こした書物を通じて
過去と現在と そして"いつか来るはずだと登場人物みんなが信じている"未来が繋がった事に感動。

明日また日は昇ると信じることが希望である!
と、この前 アニメの白南風丸くんの身隠しの盾オーディション編で見たばっかりなのであった。
希望があるからこそどこからともなく力が湧いてくるのだな~根性!

忍者には向いていないとさんざん言われても、忍者になれる未来を信じて忍タマ六年生として今日まで根性と持ち前のポジティブで生きてきた伊作の明るさが眩しい。



伊作は傷を癒して元通りにする再生と、万物が秘めているはずである自然に治癒する力 の自己再生力と、同時に不運の星に生まれたさだめを切り開こうと抗おうとするそれらを三つも持ち合わせていて、よくそれらを抱えられるなあ……!
伊作の生きざまがアツい。



幻術が襲い掛かる=不運が襲い掛かる、幻術に抗う=不運のさだめに抗う だろうな。
なにくそ根性で抗う伊作はなんて忍たま的少年なんだろう!!
幻術も不運も実体がないものだけど、それらに対して忍者としてどう立ち向かい対処していくか っていう話なんですかね。


未来が来ることを信じ自分が未来と通じようとするのがポジティブ プラス思考なのだと!
たまごはいつかは孵る、未来の生 未来のいのちに繋がるものなんです!

そしてたとえ傷を負ってしまっても相手を傷つけてしまっても、誠心誠意で治療すればいつかは傷は癒えるのだと信じるのもまた希望であるのだと!
さらに言うと何度もどんなにも壊してしまっても、修補すればまた再び元通りにすることができると信じるのも希望であると!


物質的な傷もあれば人と人との間に生じた溝も傷だし、もっと大きいこと言うと 戦で疲弊した人も土地もいくさで傷を負ったと言える。

伊作と留三郎は保健委員長の治療と用具委員長の修補で共にリカバリー・再生を司る委員長だと信じているんだけど、万物の再生を信じ治そうと自ずから技術と労働力を差し出す二人に目頭熱くなります。
司るってそんな神じゃないんだから




観ている途中で、自分なりに主題をつけるならコレなんじゃないかと頭に浮かんだのは
「六年生六人組という小さなコミュニティの平和は、大きな平和の実現に繋がる第一歩」
「忍者の最終目的は"平和な世を到来させること"」

第一弾のテーマは「忍者とは何か」
第二弾は「忍者の心構え・正心」
(第三弾から第五弾は未だに読み解けていない)、ときて一年生が六年生にまで成長する年月を経て

第六弾にこの「忍者の最終目的」というテーマを持ってきたのがとてもアツい……!!
現在に続く未来が、見えるよ……!!忍者はガッツの精神で必ずや最終目的を達成させるのじゃよ…….!!


だからいつも以上に、ラストの忍者はガッツの「いつも戦う相手だけれど 時が来たならひとつの輪になる」って歌詞が輝きを増していた ような気がした!

忍者は忍術という技術と知恵を活かして、無駄な戦を避け平和の実現のために存在する(名目)のだと私が認識している、という前提ありです。
つまり忍タマは、暗雲立ち込める戦乱の世を終わらせ平和な世の実現を目指す"希望のこどもたち"なんだよォ……!!(←いつも言っていること)


だからこそ"平和の実現のために存在する"忍者になることを誰よりも切望する(と勝手に私が思っている)文次郎が、私は大好きなんだぁあああ~~~い!!!
本人はそれを意識しているのかどうかは知らんけど!
早くもキャラ厨こじらせをぶっこむの段。



伊作は敵対する者であっても目の前の人を救おうとする博愛精神というかボーダーレスさが、六年生六人の中では忍タマたちがつくりあげるべき未来の実現に最も近いことをやっていると思うし
無意識的にそれをやってのける強さも持っているから、そこは伊作らしい話になっていて嬉しかった!

伊作は平和の実現のためにすべきことを誰よりも先に気付いた、ある意味では誰よりも忍者らしいヤツ。


だから六年生六人組同士で討ち合うことを恐れて「おれたちは敵対する城には就職しない、そう約束する」と六年のみんなが言っていた時は
「だからお前らがその敵対する城同士を忍術でどうにかして平和にするんだよバカヤロー!こやつらまだわかってないな!!」なんて思ったりしました。
前半部分でのことだったから、ラストまでいったら六年生たちのこの認識も変わるかなと期待したりもしていました。
これは"未来を恐れている"状態。



学園の門の戸が破壊される描写が数回あったのが、印象的で何だか意味深……!!





【追記】


最初は幻術にかかった伊作と食満が壊して
二回目の破壊のキッカケを作ったのは「こいつ(食満)のいない城がいい!」と食満に悪態ついた文次郎(伊作食満非洗脳モード)
最後の一回は伊作が長次に襲いかかって扉に打ち付けた(伊作食満洗脳時)


逆に、最初に壊れた時は文次郎が伊作と食満と一緒に直すのを手伝ってあげていて("留三郎が壊したんだよな~!"と伊作と言い合ってた。"私たちは被害者なんだから直すのはやなこった~!"と言っていた小平太はじめあと二人は手を貸していない)
二回目は直す描写がなかった?(学園のあちらこちらを直しに行こう!と6人とも動いていた)
ラストは幻術が解けた食満と伊作が直していた


基本的にはどんな家の子であってもどんなヤツであっても受け入れる・いれてもらえる忍術学園の門
(それか入門票にサインさえすれば入れさせてもらえちゃうw)は、六年生が互いを仲間として受け入れる間口 のメタファーっぽい。
壊してしまっても自分達で協力して治す。誰かに治してもらうときもある。





2回目に幻術をかけられて六年四人の性格がガラッと変わるシーン、ドクタケ忍者のぼやきは単にドクタケ六忍衆のぼやきなだけ?

伊作留三郎がひそかに思っていた事だったりも普通にしそうだし、潜在的に燻っていたものがドクタケ衆にたぶらかされた?
ことで表に出てきた→伊作と留三郎が幻術にかかった、のかも。

どんなに仲良くっても 忍とか関係なしに人間であったら、ほんのちょっとでも仲間に対して決してプラスとは言えないことも考える時もありますきっと。



あと、あの性格は六年四人もそれぞれ潜在的に持っているかも。

「本当は自分なりに真面目に考えているときだってあるのに!」
「確かに周りのみんなと違って口数は少ないし表情の作り方も下手かもしれないけど、自分はこういう風にしかできないもの……」
「自分の顔のことでイジられるの、気にしてる……。立ち向かっていくのが怖い時には、唱えて自分に言い聞かせて勇気を振り絞るんだ」
「これだけ自分で頑張ってアクションを起こしているんだから、自分の思い通りになってほしい 報われてほしい」

察してほしいという願いであったり、密かな悩みや願いであったり、隠している欲であったり、として……。
思春期の少年たちの願いを望みを弄ぶなんて……それなんてイェーイ!ウェーイ!!



私は「イケイケドンドンッ↑」と「肩治った♡」がツボに入りました♡
暴行受けて「肩治った♡」って、トロすぎだから……w




オープニングでドクタケが忍タマ六年生をついに始末するとか言い出した時は
ひ、ひえ~学校の生徒だしそんな人のお家のお子さんに直接手を出していいの!!??
確かに邪魔かもしれないけど、そんな直接手を出したらデメリットしかないんじゃないの!?
と、ビビっちゃったんだけど結局幻術で内部崩壊させる方向に話が進んでいったからセーフっちゃあセーフか……

でも忍タマ少年がドクタケの手にかけられるところは見ていてゾクゾクです!!





忍ミュにおける"座長"の意味がいまだにわかってないくせにどうしても"座長=主役"にこだわるところがあるので、伊作が座長である以上は伊作が自発的に自分の考えで動いてゆく様子がホントは見たかった!!
伊作が「平和を実現する」ためにどのように考えどのようにアクションを起こすのか、が見たかったのだ私は!!

幻術をかけられまぼろしを見たそのあとに「許さない……!!」と憎しみの感情を抱いて討伐しようとしたのは伊作の意志かもしれないけど。伊作が本気でひとを憎むとこうなるってこと なのかなっ?






【千秋楽に向けてメモ】


幻術が解けかけるタイミングや、門の扉が壊れたのは何でだったとか、忘れてることいっぱいあるから、次観るときに把握しないと!




あらすじだけ見たときは「四人が裏切った」つまり「自陣営⇔敵を常に意識している文次郎が学園陣営を裏切った」だと思っていたんだけど
むしろ「一緒に忍タマ六年生として過ごす仲間のうちの一人」だと信じていた食満と伊作
に裏切られた(と感じているかもしれない)文次郎 を含めた四人っていう構図が成立することに観終わってから気付いたから、次は食満と潮江のやりとりにもっと注目してみる!
伊作と文次郎もだけど、食満潮江のやりとりが多かったから

自分が信じている者に刀を向けられる少年、ってシチュエーションにある種の興奮を覚える。



【追記】


二回目の幻術にかけられて六年4人の性格が変わるのを見た後に、伊作食満が「裏切られた!今まで騙されていたんだ!」と思ったのはあったけど
六年4人が「お前ら、裏切ったな......!」と伊作食満不信に陥ることはなくて、むしろ最初から最後までこの二人を信じていたんだな!
と、もう一度観て確信した!
だって5再のときにぶつかった壁に立ち向かって、悩み考えそうして乗り越えてきた奴らなんだもの!

時系列が繋がっていると成長の過程も描写されて嬉しくなる。ますます日々成長しつつある六年生六人組を応援したくなる。