第五舞台Ep.1『What to draw』 調査報告レポート

某流行り病のパンデミックにより「我々の心身の安心と自由を脅かすこの状況は一体いつ終わるのか?」と不安を抱きつつ、出口が見えないままに今という時代を生き抜くサバイバーの皆さん(荘園ではハンターを演じる皆さんも)、こんにちは。

昨年のちょうど今頃にエウリュディケ荘園に足を踏み入れ、サバイバーという新たな人格を得たのづめです(私は荘園では"モりこ"と名乗っています)。
サバイバーの自覚がある私も、皆さんと同じように「今のこの状況はいつ終わりを迎えるの?」「ゴールは一体どこにあるの?」と毎日思いながら、一日一日一日をサバイブしています。

そんな私もついに、 第五舞台に手を出しました。そしてEp.1を観た後に私は思ったのです。

「私のこの思いの丈を書き記し、シェアしなければ」と――。

『調査報告レポート』なんていう大それた名前をつけてしまいましたが、そんな大層なものではありません。
ただの傭兵の話を持ち出しがちなオタクのEp.1の感想文です。

【舞台本編(サバイバー編、ハンター編)のネタバレ有】
【背景推理、記念日手紙等の原作ゲームのネタバレ(複数キャラ)有】



Identity Ⅴ STAGE Ep.1 Side: S, Side: H
BDを視聴。




【draw】描く、引き出す、たぐる、手繰り寄せる、引き寄せる

タイトルの『What to draw』を日本語に訳するならば、何と訳そうか。
やはりジョゼフとイソップの物語が動き出すきっかけとなった"筆"にちなみ「何を描くか」と訳すべきか。


しかしジョゼフが描く絵画(おそらく油絵)の場合、用いる動詞は"draw"より"paint"の方がふさわしいように思われる。
それにイソップの死化粧に対応する動詞は"make up"である。

"draw"のコアイメージは「引く」。
この動詞が本来持つ「引く」という意味から派生して「引き出す」「たぐる」「手繰り寄せる」「引き寄せる」、そして線を「描く」という意味が生まれた。
それをふまえると『What to draw』は「描くもの」「何を描くか」に加え、「引き出すもの」「何を引くか」「何を手繰り寄せるか」という訳がしっくりくるのではないだろうか。
では一体何を引き出し、何を手繰り寄せるのか?

死者の生前の姿を「描く」
カードを「引く」(=勝敗、結末が己の選択によって決まる)
秘めた力を「引き出す」
可能性を「引き出す」
勝利を「引き寄せる」
自分の過去を「たぐる」

そして、未来を「手繰り寄せる」
未来を「描く」。

Ep.1はそんな物語だ。


『What to draw』は「革命」の物語だ

老いも死も存在せず永遠にゲームが繰り返される荘園に、ハンター・ジョゼフは本当の「死」をもたらした。
ジョゼフは荘園に「『本当の死』革命」を起こしたのである。

イソップたち五人の"新入り"が荘園に革命の風を吹かせ、その風がジョゼフの心の梢をざわめかせた。
その風はジョゼフに筆を執らせ、サーベルを握らせた。
そして今度はジョゼフがサーベルを振るい起こした風が、別の誰かの魂を震わせる。

誰かが吹かせた革命の風は、誰かの心を揺さぶる。
心を揺さぶられた"誰か"が起こしたアクションが、また別の誰かの心の梢を鳴らす。

そうして「革命」は誰かと誰かが共振することで、波及してゆく。


draw:たぐる ――「知りたい」はヒトを生かす

私はなぜ、ここにいるのか。
私はなぜ、この荘園で"ハンター"の役を演じさせられているのか。
今のこの状況から解放される日は、果たして訪れるのだろうか。

ゲームは延々と繰り返される。勝利したとして、何かが得られる訳でもない。
せめて対戦相手が強ければ、ゲームそのものを楽しむこともできるだろう。 しかし対戦相手のサバイバーはまるで弱い。

ジョゼフにとってゲームは「用意されたサバイバー四人を狩る」という労役でしかなかった。
しかもその労役はおそらく永遠に課せられる。ジョゼフはこの状況に耐え切れなかった。


なぜ私はこんな所で、こんな事をやらされている?
彼の怒りはやがて「私はここに来る前はどこにいた?」「かつて私は何をしていた?」と自身を問う問いを呼び寄せた。
自身への問いを抱いたジョゼフは己の過去を知り、過去をたぐるために行動を起こしてゆく。


ジョゼフは白黒無常が荘園にやってきた時に、「私はなぜ、ここにいるのか」という謎の答えを知る。
しかし、その答えはけして喜ばしいものではなかった。

范無咎は死に、謝必安は自ら命を絶ったはずなのに、荘園に"招かれ"ハンターとしての役割を与えられた。
おそらく私も、こいつらと同じように荘園の主に"招かれて"――強制的に連れてこられた。

「私はなぜ、ここにいる?」という問いの答えに憤りを覚えたジョゼフは、荘園主に対しハンターの役目を放棄するストライキを起こした。




イソップもまた「僕はなぜサバイバーとして必死に生き延びねばならない?」と疑問を抱き、「僕がゲームに呼ばれた意味」「僕がやるべきこと」を知りたいと切望していた。


イソップたち新入りが足を踏み入れた荘園は、永遠に死が訪れない不思議な場所だった。
永遠に「人生という旅の終点」が訪れないそこでは「(疑似的な)人の生死」「(疑似的な)人の命」が雑談の種に、暇潰しの賭け事に、そして荘園の主の玩具にされていた。
イソップが最も大切にしている「人生という旅の終点」は、荘園ではイソップが最も嫌う"雑談"の種として消費されていた。

死者の生前の姿を描き「人生という旅の終点」の思い出を作り出す"納棺師イソップ・カール"の存在意義は、彼が「永遠に死が訪れない」荘園に足を踏み入れたことで、いよいよ完全に失われてしまった。

この荘園において納棺師という存在は意味をなさない。よって納棺師としての僕の存在意義も消失した。
それでも僕がこの荘園で、サバイバーとして生きなければならない理由は一体どこにあるのか――。


暗闇を彷徨っていたイソップは、ある日「自分がこの荘園で生きる意味」を見つける。

ゲームに参加すれば「疑似的な死」を味わえ、「死」を知れる。
「死」を知るために、もっとゲームに参加したい。

これは荘園で"納棺師としての己の存在意義"を失ったイソップにとって、まさしく暗闇に差し込んだ一筋の光であった。
イソップは「『死』を知りたい」という「生きる目的」、つまり「自分が生きる意味」を手に入れた。

ジョゼフはあの日、イソップに「疑似的な死」を与えた。
しかしジョゼフが与えた「疑似的な死」から、イソップは「自分が生きる意味」を見出した。
ジョゼフは図らずも、暗闇で彷徨うイソップに「生へ執着する理由」すなわち「生きる希望」を与えていたのだ。




傭兵と探鉱者は信じたかった

新人サバイバーのイソップは、荘園で「生きる希望」を見つけた。
一方、サバイバーの中には荘園で長い時間を過ごすにつれ、希望を失ってしまった者もいた。

希望を失ってしまった者――正確には「希望を抱かないようにと、自分自身に言い聞かせる」ようになってしまった者。
それがナワーブとノートンだ。

ナワーブとノートンの二人には共通点がある。

「自由傭兵になれば、今の辛い状況から抜け出せるかもしれない」
「地質探鉱者になれば、陽の光の下で生活できるようになるかもしれない」

そんな希望を抱き、東インド会社のグルカ兵から自由傭兵へ、鉱夫から地質探鉱者へと転身した。
新たな人生を歩みたいと願い、決断した。決断し行動を起こせば、明るい未来を掴める――はずだった。

しかし自由傭兵になっても、地質探鉱者になっても、招待に応じ荘園を訪れても、望んだ未来は掴めなかった。
一度だけではない。今まで何度も決断し、行動を起こし希望を掴もうとしたが、ことごとくその願いは挫かれた。
「人間は皆平等につくられている」*1という理想も、「人はずっと不幸が続くことないと思う、多分ね?」という希望も、"現実"によって打ち砕かれた。


"サバイバーが勝つ"方に賭けたナワーブは、生き延びることを諦めるイソップに対し怒りを露わにする。
しかし彼はその反面「チェイス中の仲間を助けても意味はない」「俺たちは絶対的強者のハンターに追われるだけの哀れな獲物だ」といった、諦念を感じさせる言葉を事あるごとに発していた。
ナワーブはハンターに勝ちたいのか、それとも「俺たちがハンターに勝つなんて到底無理だ」と諦めていたのか。

どちらかではなく、彼はおそらくその"どちらも"を抱えていた。

本当は勝ちたい。生き残りたい。荘園を出たい。
しかしいくら願っても、行動を起こしても、どうすることもできない事は現実に幾らもある。
おそらく「いくら手を打ったところで無駄なんだ」「現実を受け入れるしかないんだ」と割り切るため、諦めろと自分に言い聞かせるため、ナワーブはこのような言葉を発していた。



イソップが招待状を破り捨てた時、ノートンは「無駄だよ」と言い放った。幸運児・ボーイが「ゲームに負けなければ死ぬことはない」と提案した際には、彼は「簡単に言ってくれる……」と溢した。
ノートンはライリーと同じく、"サバイバーが負ける"方に賭けた。彼はナワーブ以上に諦めていた。

確かに彼は本気で「どうせ今回もサバイバーが負けるのだろう」と思っていたのかもしれない。
だが、薄々気付きつつある「サバイバーである自分たちは、ハンターに勝つことはできない」という"現実"を、どうか覆してほしい。
そんなことは決してないと、否定してほしい。
ノートンは密かにそんな願いを、カヴィン達に託していたのかもしれない。

"現実"という大人の世界に足を踏み入れてしまったからには、理想と希望を捨てて、諦め、割り切るしかない。
それこそが"わきまえた大人"らしい、賢い生き方だからだ。
希望を抱かなければ、絶望することも、苦しむこともない。




イソップとナワーブは似た者同士

ナワーブは連携とチームワークの重要性を説き、イソップにも求める。
しかしイソップは彼の期待に応えるどころか、自らハンターにその身を捧げるという利敵行為に走るようになる。

ナワーブが連携にこだわるには理由がある。ゲームに勝ちたいからだ。
退路は断たれ、この荘園に留まりゲームをするしかない。そんな状況下でイソップが「死を知るために、もっとゲームに参加したい」という目的を見つけたように、ナワーブもまた荘園暮らしの中で「ハンターに勝ちたい」という「この荘園で生きる目的」を見つけていた。

「せっかく逃げられるかもしれない場面で、諦める奴の気が知れねえ」
むかつくよな、と溢すナワーブの声は震えていた。

サバイバーがハンターから逃げ切ること。 それは諦め、割り切らなくてはならないものだらけの"現実"において、残されたごく僅かな「追い求めることを許されたもの」だ。
そんな僅かな「諦めなくてよいもの」をせっかく掴めそうな場面で、それを掴まないなんて――。
ナワーブはそれが許せなかった。「追い求めることを許されたもの」=希望を踏みにじられることも、イソップが自らそれを手放すことも、許せなかった。


しかし、彼が連携にこだわる理由はそれだけではない。

サバイバー陣営は欧米で生まれ育った者が多く、民族的にも欧州の血が入っている者が大半を占める。
そんなサバイバー陣営においては、南アジアのゴルカ(グルカの現地語読み)生まれのナワーブは異邦人、つまり"異分子"="変わり者"であるといえる。
故郷を離れ遠い異国で暮らす生活を長く続けるナワーブは、おそらく"変わり者"の異国での振る舞い方を心得ている。
それは「集団に馴染む」こと。「郷に入れば郷に従え」だ。

しかしそれには自分が家庭・故郷で培った価値観や自分自身が持つ価値観、そして自分の意思に反する行動の選択が伴う。
全てではないにせよ、己の意に反する行動の選択を強いられる状況を受け入れなくてはならない。
例えば友達と一緒に食事をする店選びの時に「私は本当は焼肉を食べたいけど、でも皆はパスタを食べたがっているから合わせないと……」と妥協する、なんて事がこれに当てはまる。おそらく誰もが一度はやった事があるだろう。
「集団に馴染む」とは、自分の気持ちを押さえつけ妥協することで、集団の和を、協調を保つことなのだ。

サバイバーの皆に馴染もうともせず身勝手に行動するイソップに、ナワーブは怒りを覚えた。

集団行動を知らないとは、何て未熟で身勝手な奴だ。
俺は自分を押し殺して生きているのに、あいつは自分の思うがままに振る舞うなんて。

だが、もしかするとナワーブは怒りを覚えると共に「俺もあいつのように、自分の気持ちに正直に生きることができたらな……」と、内心イソップを羨ましく思っていたのかもしれない。



社会集団に籍を置いていたとしても、集団の輪の中に入っていたとしても、ふとした時に自分はその集団の住民からメンバーの一員として認められていないように感じることがある。
「私はどこか別の場所から来た余所者だ」「ここは定住の地ではなく、一時を過ごす止まり木に過ぎない」と寂寥感を抱くことがある。

「私は本当は皆から、この集団の真のメンバーとして認められていないのかもしれない」と疎外感を抱きつつも、それでもどうにかして集団の輪に入れてもらえるよう、自分を押し殺し周りに合わせる。

不本意だと心の中で叫ぶ声、それさえもを押し殺し、生きている。




他者の犠牲の上で、望みを叶えることは許されるか

ハンターに己の身を捧げ死を選ぶ行為が、他のサバイバーの「ゲームに勝ちたい」という望みを踏みにじるものであると知りつつも、 イソップは利敵行為を繰り返した。
たとえ他のサバイバー達から非難されたとしても、イソップは必死に「死を知ること」にしがみ付いた。
死を知ることがイソップがようやく見つけた「生きる目的」であり、彼には「僕がしがみ付くもの」がそれしか無かったからだ。

イライはイソップに忠告した。イソップの生きる希望である「死を知りたい」という望みが尊重されるべきであるのと同じように、ナワーブやピアソン達の「ゲームに勝ちたい」という望みも尊重されるべきだからだ。
イソップは「生きる目的」を自分自身の力で見つけ出した、それはとても良いことだ。
しかし、彼は自分の望みを叶えるために、他者の望みを踏みにじる方法を選んでしまっていた。



ジョゼフは民衆の怒りによって引き起こされた革命により、弟を失った。
ノートンは多くの被害者の命と引き換えに、お目当ての鉱物と隕石磁石を手にいれた。

自分の望みを叶えるために誰かの望みを犠牲にすることは、果たして許されるだろうか。

ナワーブは故郷の家族を養うためにグルカ兵に選ばれ、家族と軍隊のためにボロボロになるまで心身に傷を負った。
イライは"選ばれた者"として神との誓約という枷を負う。
"選ばれた者"というのは、つまり"生け贄に選ばれた者"である。

自分の望みを叶えるために、誰かの望みを叶えるために、他の誰かを犠牲にしてはならない。
しかし、それは理想論であり綺麗事でしかない。 誰一人として犠牲者にしてはいけないはずなのだが、実際のところは誰かが犠牲となることで、ようやく事が進むのだ。

誰もがどこかの誰かを犠牲にすることで、ようやく立ち上がることができる。 どこかの誰かを犠牲にすることで、ようやく社会は回り出す。

現実問題として、何もかもが犠牲なしでは成り立たない。





draw:未来を手繰り寄せる

ジョゼフはイソップと出会ったことで、失われた過去の記憶の断片を思い出す。

失った弟の姿を永遠に留めておくために、絵筆をとり絵を描き始めたこと。
その次にカメラを用いて、失いたくないものを本物とまったく同じままに残そうとしたこと。
自分は「何も失わない、完全な世界」を手に入れたかったこと。

そして彼は、あることに気付く。

「この荘園こそが、私が追い求めた"完全な世界"なのかもしれない」

この荘園では時間の流れが存在しない。よって歳も取らず、死ぬこともない。
荘園はジョゼフが生涯に渡り追い求めた「永遠」が約束された場所だった。

そしてジョゼフはこう続ける。

「私は自らの意志でこの地を訪れ、自らの意志でハンターになったのかもしれない」

私は白黒無常と同じく荘園主に強制的に連れてこられたのではなく、己の足で荘園に赴き門を叩いたのではないか、と。

背景推理によると、ジョゼフはカメラ・オブスクラに映し出された映像を紙に焼き付け、像を留めておく現像技術を発明したとされている。
ジョゼフは「永遠」を手に入れるため、自らの意志で行動を起こし、写真技術を発明した。

そして「永遠」を手に入れるため、自らの意志で荘園を訪れ、ハンターになった。


しかし「永遠」を追い求めたのは、失われた記憶の中の"過去のジョゼフ"だ。
「永遠」を既に手に入れた"現在のジョゼフ"は、過去のジョゼフとは違う。
「永遠」を手に入れた彼は、気が遠くなる程に繰り返される荘園での暮らしに「いい加減にしてくれ」と辟易していた。


現在のジョゼフが望むもの、それは「永遠に繰り返される現状」の破壊であった。
止まっていた砂時計の砂が流れ落ち、時が流れること――そして未来が訪れることを、彼は望んだ。


ジョゼフはいつだって、自らの意志で行動を起こし、己の手で望みを叶えてきた。
ならば、未来を手に入れるために私がやるべきことは――。

ジョゼフはある仮説を立てた。
「サバイバーを全員殺したら、参加者が揃わずゲームは終わり、私は解放されるのでは?」

そしてジョゼフは、"ハンター"として、ハンターのやり方で、その仮説を検証するための実験の方法を思いついた。




draw:力を引き出す、勝利を引き寄せる ――「知ること」は希望となる

ジョゼフは絵筆をペンに持ち替え、荘園に革命を起こす。
彼は荘園主に「『本当の死』をもたらしてくれ」と交渉する手紙をしたためた。

荘園中に激震が走った。
ジョゼフとイソップの面会に立ち会ったイライは、既にそのことを知っていた。
イライはそのことを知った上で、「サバイバー同志が連携をしっかり取れば、そうそう負けることはないのでは」という考えを導き出した。


イソップと対立していたナワーブは、イソップが抱える事情と彼のパーソナリティを知り、理解に努めた。
彼の事情を理解した上で、「ゲームの時には連携を心掛けろ」と自分の意見をイソップに伝えた。
そしてナワーブは「人は皆それぞれ、自分とは違う考えや価値観を持っている」ことを知り、物事の捉え方の違いを確認しシェアする必要性に気付いた。

連携の必要性に駆られたサバイバーたちは、自己開示し、積極的に互いを知ろうとした。
自分が今までの人生で培ってきた知識をシェアし合った。
言葉で伝えなくては自分の思いは伝わらず、また真実を見抜けないと気付き、意識して言語コミュニケーションによる意思疎通を図るようになった。


「俺たちは、"俺たちはやればできる"ってことを思い知った」
そう語るナワーブの言葉は、喜びに溢れていた。

互いの特性を知る。互いの得意なことを知る。ハンターの攻略法を知る。
「知ること」は力になる。知識を得れば、自分たちはもっともっと強くなれる。

自分はもう現実を知った大人だから、身の丈に合った人生を受け入れなければならないと思っていた。
でも「俺は大人になってからも、まだずっと、これからもっと成長できる」とナワーブは知った。
この情報は彼にとって、希望の光となったはずだ。


イライはマーサから教えてもらった窓越えスキルを、イソップにもシェアしてあげようとした。
自分が得た知識は、どれだけ人に与えても失われることはない。
幾らでも、何人にでも、分けてあげることができる。
知識はまるでランプの火だ。どれだけ分けても無くならず、皆に与えた知識は暗闇を照らす灯となる。




「死」がある世界=「未来」がある世界

「革命」によって、荘園に「本当の死」がもたらされた。
荘園に「死」がもたらされたことで、ノートンは自分の「生きる目的」を見つけた。

「もう誰も死なせない」

ノートンはかつて落盤事故を経験し、たくさんの仲間を失った。
死が訪れない荘園で長い時間を過ごすにつれ、彼は死によって誰かを失う痛みとは無縁となった。
しかし、荘園に死がもたらされたことで、彼は自分の望みを思い出した。

もう誰も死なせない。
もう何一つとして、誰一人として、自分が手に入れたものを失いたくない。


「もう誰も死なせない」という切実な願いは「皆を守るため、僕は強くなりたい」という、ノートンが己の成長を願う理由となった。

荘園に「死」がもたらされたからこそ、ノートンは未来を目指し、歩み始めた。




行きなさい=「未来」へ行きなさい

ジョゼフは初めてイソップと出会ったあの日ぶりに、赤の教会で再会した。
イソップは様変わりしていた。ジョゼフ自身も、あの日を境に変わった。

ジョゼフが起こした「革命」は、サバイバーを強くさせた。
ゲームのルールをまるで知らず、全く歯ごたえのない"新人"だったイソップも強くなっていた。


ご存知の通り、ジョゼフが最後にイソップに贈った「行きなさい」は、「生きなさい」に掛けられている。

ジョゼフは最後にイソップとの対話を通して、イソップは本当は「死にたい」と願っていないことを知る。
そしてイソップの真の願いは、自分と同じ「荘園を出たい」、つまり「"永遠"から逃れ、未来を手に入れたい」であると知った。
イソップの命を奪い、そしてこれから沢山のサバイバーの命を奪おうとしていたジョゼフは、今度は自らの意志でイソップに生を与え、希望を与え、未来を与えた。


自分が荘園から解放されたら、今まで与えられなかった分の老い(=時間の蓄積)が与えられる。
または、本来訪れるべき「死」が自分の元に訪れる。
ジョゼフはもしかしたらこの時点で、既にこのことに気付いていたのかもしれない。


私はお前と一緒に、未来へと歩みだす。
共に未来へと歩みはするが、お前と私はそれぞれ別の道を歩む。
これから私が向かうのは、お前が大切に思う「人生という旅の終点」だ。

お前は人として生きる道を「行きなさい」――。


ジョゼフの「行きなさい」には、このような意味が込められていたのではないだろうか。




イソップたちの未来はどうなるか

Ep.1の物語の結末のその先、イソップたちは一体どうなったか。
私は幾つか予想を立てた。最後にそれらを紹介し、このレポートを締めることとする。


①イソップたちは荘園に残った皆の希望となる

物語の最後のゲームの参加者のイソップとジョゼフ達は、「ゲームが終わった後に荘園を出た」最初の例となった。
ジョゼフが荘園に戻ってこないと知ったロビーたちは、「荘園を出たら皆で世界旅行をする」という目標を立てた。
おそらくハンターだけでなく、サバイバーたちも「俺たちも荘園の外に出られるんだ」と勇気づけられただろう。

ナワーブは親友のノートンが帰らず、寂しく思うかもしれない。しかし「俺も早くここを出て、ノートンとまた一緒に酒を呑んで語り合うんだ」と新たな楽しみを抱き、糧とするかもしれない。
幸運児・ボーイも「僕もここを出たら、イライさんと一緒にお酒を呑みたいな」と、あの日のイライとの会話を思い出し、勇気づけられるかもしれない。


②イライたちはジョゼフと酒を酌み交わす

また酒呑みネタである。これは最上級のハッピーエンドのパターンだ。

Ep.1には「酒を酌み交わす」描写が何度も登場する。
「いつか一緒に呑んでみたいな」が口癖のイライ。范無咎と一緒に酒を飲み、語り合ったジョゼフ。ノートンと一緒に酒を飲んだ時に彼の秘密を手に入れた、と暴露するナワーブ……。

これらに共通するのは、「一緒に酒を呑む」=「共に語り合う」と意味付けられていること。
Ep.1「酒を酌み交わしながら共に語り合う」描写がこれでもかという程にされるのは、「言語コミュニケーションによる意志疎通」がテーマのうちの一つとして掲げられているからではないだろうか。

これはイライがナワーブと交わした冗談の「一度ハンターとも一緒に呑んでみたい」を、荘園に出て叶えた説だ。
イライをはじめとする最後のゲーム参加者みんなで、ジョゼフも交えて一緒に酒を呑み語らう。

ヘレナとは「君が大人になった時に、一緒に呑もうね」と約束し、未来の楽しみをまた一つ増やしたかもしれない。


③イソップがジョゼフの亡骸を納棺し、埋葬する

荘園を出たジョゼフが「歪みが元のあるべき様に戻された状態」をその身で受け、死ぬとしたら――というパターンだ。
これはそこそこハッピーエンドに分類される。

最後にジョゼフの死化粧をイソップが施し、サバイバーの皆でジョゼフを見送る。
ジョゼフは死のその先の段階へと進み、イソップたちは人として生きる道を進む。

「"永遠"を手に入れたバケモノと化したジョゼフが死を迎える際には、亡骸は残らないのでは?」と思わなくもない。
Ep.1のジョゼフには、自らハンターとなり「バケモノ」となった過去を否定してほしくない気持ちもある。
よって、バケモノと化したジョゼフは最期までバケモノであってほしいとも思う。

永遠を手に入れたバケモノの美青年が死を迎える時は、腐敗してゆく死体を残さず、儚く消えてゆくものである。
そのようなバケモノの美青年は死を迎える際に、己がこの世に生きた証が形として残らないから、この世の人々からはいずれ忘れ去られてゆく。そういうものと相場が決まっている。

④イソップがかつて自分がしたことの意味を「知る」

背景推理によれば、イソップは「この人は死ぬべきである」と見極めた人間に薬品を注射し、納棺するまでの一連のステップを師から教えられたとされる。

「あなたは死の次の段階へと進むべき」と説得し、相手もそれに納得した上で魂を送り届けていたとずっと思っていた。
しかし、それは自分の思い過ごしでしかなかったとしたら――。

イソップは真に相手と意志疎通ができていないままに、相手に薬品を注射――つまり相手の「まだ生きていたい」という望みを踏みにじり、相手の生きる自由を奪う行為をしていた可能性がある。

コミュニケーション不十分により他者と思い違いや誤解が生まれると学んだイソップは、おそらくいつかこの事実に気付く。
荘園を出たイソップは、人々の命を奪い、生きる自由を奪った罪を償うために第二の人生を生きるのかもしれない。





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