忍ミュ6再感想

【6月27日ソワレ観劇・1回目】


第六弾のストーリーは、鼓動(KODO)と疾風に集約されているよな と、改めて感じた限りですよ!
オープニングの時点でもう話の筋は語られていた......。

オープニングの鼓動で毎回さぶイボ立って武者震いする。胸アツオープニングだよな!

太鼓で六年生ズが抵抗するシーンで伊作と食満の渾身の一撃がキマッたあと、BGM流れたまま暗転するところも好き。
あの空気のなかで拍手する気持ちよさよ!!





不運の忍者の「見捨てることなど出来ない人の不運 全部受け止めてあげる」が大好き
というか、これがストーリーの最後にまで繋がってくるんだよな~!と、私は思っているんだよな~!
「見捨てることなど出来ない人の不運」のところで一年生ふたりが入るのも好き!


「見捨てることなど出来ない人の不運 全部受け止めてあげる」を保健委員メンバー以外は誰も賛同しない → 俺達の居る場所 でい組ろ組に「疲れ果てたその体 両手広げて受け止めてやる」と 己の身体を差し出して苦しみを共有しようと寄り添う気持ちが自発的に生まれる

俺達の居る場所 の時点では、まだ過程の段階にあるんだよな~!
これを踏まえて最後に 疾風の「燃え尽きてもかまわない この命果てるまで(!!?)」「失うことを恐れずに 無くすことを恐れずに」の精神が六年生全員に芽生えたんだって、第六弾初演でとても感動した記憶がある……!!

危険をかえりみずに突っ込んでいくのはハイリスクだけど、誰かを救うために自らの身を呈する優しさと強さの究極の複合型。
今年の夏もまた六年生全員がここまで辿り着くことができて良かった 感動……!!



それに 疾風の太鼓で抵抗するシーンも、あれはあくまで太鼓の音で錫杖の音をかき消して抵抗するだけであって
今回は直接的に武器で闘いをすることなく最後はドクタケを撃退することができたんだよな!! それがまた嬉しくって嬉しくって!
直接対決をして人を傷付けることなく、うまくやりすごして争いを避けてこそ忍者(なんだと私は落乱を読んで学んだ) みんな成長したよ......!
武器で互いを傷付けあった六年生全員が、その過程を踏まえたからこそ
最後は(武器で)闘わずしてドクタケを退散させることができたのだと思うですよ。自衛だけで済ますことができたんだな~~
【追記:見返したら、普通に刀でドクタケ忍と闘っていたからこれは違う】



あのシーンで雑渡さんが「(もう彼らなら大丈夫だろうから)後は忍術学園に任せよう」と去ってゆくその気持ちがとてもわかる。
もうあの六年生みんななら大丈夫だな!!って思うもの!!



一年生ズの 特にきり丸の晴太が見るからに大きくなっちゃっていてサミシー!と悲しくなったけれど、でもかわいい声はまだそのままで嬉しかった
安心した(笑) でもそれももうじきなくなってしまうんだろな
でも乱太郎とうまが一番背がちっちゃかったんだっけか?あれ??

一年生はちっちゃくて泣くほど可愛い
あのちいささはナマで見ないとわからない!
でも「あははははは」っていうこどもたちの笑い声がたまに聞いていてゾッとする
そこまでをあの子達は表現できていて、末恐ろしいっす......!



最初に幻術をかけられた時は、伊作食満は「あいつらが先生を討ちやがった!!理由はわからないけど許せるワケがねえ!!」という純粋な(と思わせて実はその中にも色々あるかもしれないけど) 先生たちを思う気持ちからの憤怒で動いているけれど

二回目の幻術はそれに加えて「あいつらはハナからオレたちを欺くつもりでいた!!よくもまあぬけぬけと仲間のフリをしてオレたちに近づいたもんだ!!」と
伊作食満自身にも直接問題がかかってくるからこそ、伊作と食満の中で沸き起こる憎悪が足されて
それだけ負の感情が生み出す憎しみのパワーを感じた。


劇中の雑渡さんの「もっと人の心に目を向けるべきだ」というセリフはひとによって大きく解釈が割れるセリフだと思うけど
私は「人間は感情ひとつでマイナスにもプラスにも力を増大させることができる」「だから伊作と食満の二人は多勢に無勢であるようだけど、もしかしたら憎悪から生み出された力が六年生四人+先生方+らんきりしん を負かしてしまうことも考えられる」という解釈に至りました!今回は!





【ここから追加シーンネタバレ】


食満が小平太を一方的に痛めつけるシーン、正直言うと「一方的にボコボコに殴られるところ見るの大好物!!」とまず思いながら見ていたんだけど(......)
一番琴線に触れたのは、食満の「地獄に堕ちろ!!!」っていう台詞!
地獄に堕ちろ、そして裁かれろ と言うなんて、あの時の食満は完全に小平太を"罪を犯した人間" "悪人"として見ていたってことになるよね~~
あの時友情を誓ったのは何だったんだ!口ではいくらでも言えるよな!取り繕うのは簡単だよな! という、裏切られた気持ちがとても大きいんだと思います。

初演からあった台詞だけど、食満の「成敗!!」に加えて伊作の「天誅!!」「正義は勝つ!!」も、自らが掲げる正義に盲目になる恐ろしさを今回になって感じた......
伊作と食満は 山田先生と土井先生を討った六年生四人を自らの手で殺めることが「正義」だと信じて疑わなかったんだ。
あの時の二人のなかでは殺しが正当化されていた。




雑渡さんのお父さんのエピソードが私の胸アツポイントなんだよ~~もう勘弁してくれよ~~追加シーン!!
パンフ見たらそうべえセンセ書き下ろしの追加シーンなんだそうですね。なるほどすぎて頭が下がるばかりである……。

50巻に描かれていた雑渡さんのお父さんの過去エピソードが真だと信じて疑わないのだけど
雑渡さんのお父さんの死因がまた第六弾の主題(私が勝手に決めたやつ)の「自分が傷付いても・命を落としてもひとを助けようとする優しさと強さ」とのシンクロ率がすさまじくってよォオ~~!!
第六弾のストーリーにさらに説得力を持たせるシーン。


そのくせ 尊奈門がお墓にお供え物して手を合わせて祈り終わるまで、面白がってずっと放っておいて見ていて
最後に「うそぴょん」言った雑渡さんの性格の悪さ好きだわwwだし
雑渡さんがジンベー様が二回も墓石を蹴り飛ばしたのが 超ウケる~~wwって感じで一人で爆笑してたし


でもジンベー様にはただの石コロとしか意味をなさないものか、それか名もなき存在としての忍者の墓を蹴り飛ばしても問題ない程度にしか思っていないのがわかるし
だから 雑渡さんのお父さんのような名もなき忍者に対して、タソガレの名を天下に轟かせようとしている大名のジンベー様の「持ってくれ♥」の歌の意味合いがもっと増してくる追加シーンでもあった!


ジンベー様が「 この手を塞ぐもの 持ってくれ♥」とお願いしても、雑渡さんも尊奈門も手を貸さなかったのは、ジンベー様の方針に納得していないところがあるから 内心手を貸したくないと思っているのでは......?とも感じた。
第六弾を観た他の方々も既に感じられていると思うけど、私もそれを感じた。


あともう一つ、ホントはあの石がお墓なんて真っ赤なうそピョンで あの石はただの道端の名もなき石なんだと推理しているんだけど
その「名もなき石」も誰か一人にとって意味のあるものだとしたら、その石はただの石ではなく
手を合わせて祈りを捧げるような、誰かの感情を動かすものになるし

尊奈門が雑渡さんパペットを本物の雑渡さんだと思い込んだのも、石をお墓だと思い込んだのも実は"同じようなこと"とひとくくりにできるような気もするし。


六年生の皆が卒業して忍術学園を巣だっていってなるものは"名もなき忍者"だけど、その一人一人が六年生にとっては互いに"六年間を共にし友情を誓ったかけがえのない仲間"なのだから
誰かというか互いにとって、とても意味のある存在になり得ているとも感じたのだ!そのシーンで!
それをどうか六年生たちは忘れないでいてほしい!切なる願いです。