忍ミュ8初演メモ―六年生と五年生について

忍ミュ8初演の五年生と六年生の関係について、六年生メインで思ったことを書きます。

感想かと思わせておいて、ただの妄想です。ほぼtwitterで呟いたことをまとめただけな気もします。
このタイトルですがほぼ文次郎と仙蔵の二人の話です。


忍ミュ8の六年生の先輩ふたりはあまりに遠かった。
OPで苦戦する五年生たちの助太刀に現れ、勇ましく敵に立ち向かっていく文次郎と仙蔵。その後、二人は高い高い絶壁の頂上(Gロッソのキャットウォークの階段の踊り場がそう見えたのです)に現れた。二人が立つ場所はあんなにも遠い……!
物理的にも文次郎と仙蔵は遠くにいたのだけど、おそらく はるか遠くにいる先輩を見上げる五年生の心情を描写していたのだと思う。


けれどもそれはOPの時点でのこと。ミュ8の物語が進むにつれて、五年生と六年生の関係は変化しました。
と、いう話をこれからしていきます。




ミュ8の文次郎は
五年生たちを「私たちの後輩です」と水軍衆に紹介して(五年生の記憶が適当だったけどw)、五年生が水軍衆と繋がる橋渡しをしてあげる。
五年生がヘマをしたら「お前たち、鍛練して根性を叩き直してやる!」と言う。 ←個人的に意外でした。てっきり「忍務ゆずってやったのにヘマしやがって!この腑抜け共!!」くらいに吐き捨てるようにボロクソ言うかと思ったから......w(全部妄想です)偏見がひどい。五年生がヘマしても見捨てないで鍛えてやるんだね。常に五年生たちを仲間だと思っているようで、文次郎の優しさを知りました。

仙蔵は 特に後輩のうちのひとりの勘右衛門の心の内を読み取ろうとして、気にかけてあげていた。
仙蔵が勘右衛門から感じ取った「こいつはおとなしい奴なようで実は......」という予感は、今までひそかに勘右衛門の胸の内でくすぶっていたものが 今回の出来事の中で殻を破りおもてへ現れ、プラスに作用させることができた。これはもちろん勘右衛門の頑張りがあったからだけど、仙蔵がかすかな予感に気付き声をかけてあげたからこそ 勘右衛門の中でくすぶっていた不満をプラスの方向に開花させることができたように思う。


忍ミュ8の六年生 というか六年い組のふたりは自分が思っていたよりもずっと、物語冒頭から五年生たちを後輩として見ていたし 自分たちの仲間として見ていた。
ミュ8の六年生は、ミュ3のラストで兵助と八左ヱ門のふたりを「一緒にがんばろう」と励まして誓いを立てたあとの六年生だった。「こいつら、大丈夫か?」と不安そうだけど、先輩としてしっかりこいつらを見守ってやろうという意識が根底にちゃんとある。



だけど、文次郎と仙蔵が五年生たちと一緒に事件解決に挑む途中でその思いに変化が現れる。
勘右衛門と三郎が一芝居打ってキャプテン達魔鬼から見取り図を奪ったとき、文次郎と仙蔵はまんまとふたりに騙された。
もうその時は「やられた~!」と二人も思ったかもしれない。後輩の計略にまんまと騙されて悔しく思ったかもしれないけど、それ以上にもしかしたら......「五年生の奴ら、案外やるじゃないか!」と嬉しく思ったかもしれない。小平太、長次、伊作、留三郎......おれたちの後輩はここまでやってのけたぞ!!なんて文次郎も思ったりしたのかな。
自分たちの後輩が成長した姿を見るのは嬉しい事だし、それが指導をして育ててやった奴らならなおさら嬉しい。


そしてもうひとつ嬉しいのは......見守ってやる後輩だった五年生たちが自分たちと同じところにまで昇ってきたこと!共に闘い共に高みを目指してゆく仲間が増えたのは心強いし、きっと嬉しい。
五年生が六年生と共に闘う仲間になってくれたということは、今までは「自分たちは守られる立場だ」という意識があった五年生が「自分たちの手で守っていかなくては」という意識が芽生えたことでもあり、「結果を出したい!」と自分のことを思っていた五年生たちが「皆のために=ひとのために」動くのだと自覚したことでもあるように感じる。
五年生たちが今回の出来事で成長したことはこの部分だったのかもしれない。(と、いう苦しいこじつけでした)


文次郎と仙蔵は階段を駆け上がって頂上まで登り詰めた先輩のように感じたけれど、今回の出来事を通じて五年生の五人が共に高みを目指す仲間になったから
まだまだこれから六年生の四人と、そして五年生たちと一緒に突っ走っていくんだ!
登り詰めたのではなく、むしろここから新たなスタートを切ったんだ。(この記事でいちばん妄想が激しいところ) これから皆と共に駆けて行く中で、どんな新しい景色が見れるのだろう。



ギンギンに極限にまで神経を張り巡らせることができる文次郎と、完璧に物事をこなすことができる仙蔵。そんな「究極」を知っている六年生の先輩ふたり。
そんな二人と同じ高みにまで五年生の五人が登り詰めたことで、文次郎と仙蔵と五年生たちは「究極」をさらに越えるところを目指していく。
文次郎と仙蔵に今回 五年生たちを見守る役目が与えられたのは、そういう理由からだったのかもしれない。




と、今回はこんな風に言ってみましたが
尾浜と鉢屋が秘密の作戦を決行したときに仙蔵は実は気付いていて「やっぱりこいつは実はやる時はやるヤツだった!」と思ったのかもしれないし、それは私にはわかりません(笑)