ポカやった仙蔵と文次郎について【忍ミュ7】

【!!ネタバレあり!!】




まず言いたいけど、「ジブンノカケラ」てなんだよ!!ゴーオンジャーかよ!(←自分ノカケラ)
中学生センスかよ!一周して年相応だ!
ミュ6の頃から思ってたけど、菅野さんの六年い組コンビ観って、とんでもなくオシャだね?本当にシャレオツなのか?(SORAも)


そして原作やアニメ本編の二人よりもキラッキラしている。
キラキラしている というよりは、もともとある六いの二人の清らかさと心のきらめきを、何倍にも大きく眩しくしたようだと思う。


とか何とか言ってますけど、私も例に漏れず好きです あのシーン。だから今の時点でわかったことを語ります。わかってないことは曖昧に語ります。





初見時は文次郎の「小平太のこと、気にしているのか?」と「千個のことを述べたら誰しも3つくらいは当てはまる」→ジブンノカケラ って脈絡なくない!?と混乱して
誰か解読して~!!いや、もしかしてこれは我々文次郎ファンが試されているのではないか!?と一通り騒いで、今に至ります。

文次郎がせっかく自分の考えを披露しているんだから読み解かねば!いまこそ文次郎と向き合うときなのでは!?
ていうかそもそも、「小平太のこと」って、具体的に何のことを指しているんだ!?!?


数打ちゃ当たる戦法で、いくつか挙げてみました(笑)



①見栄はって常に完璧だ!であろうとすると疲れてしまうから(笑)
「自分のありのままの姿を肯定して、自分は本当はどうありたいか ということに気付けば、肩の荷が降りて皆ともナチュラルに接することができるようになる」

(誰かを見つめる笑顔見つけた)


初見時にまず思ったのがこの説。
で、これは「過去エピソードなのに文次郎、成長したなー!!」と思った理由でもある。

だってこれって、文次郎がミュ5再で乗り越えた命題だったんだもの……!
「強がり言って みたけれど……♪」です。



②一回ドーーン!とポカしちゃって、それからずっとヘコんでいて
小平太が次から次へと仙蔵のセリフを奪っていったのを「それはドジやった私に対する当て付けか何かか?」と一瞬でも感じてしまった
で、小平太にどう向き合えばいいか……と罪悪感を抱いていた説。


一回ヘマやると「ヘマした私のことを良く思っていない者が今、私の周りにいるのではないか……?」と、他人を疑い始めるパターン。


それにしても 細かいことは気にしない!タチの小平太とどう接すればいいかわからない……と仙蔵が悩むのが、何だかヘンでおもしろい(笑)

普段なら「小平太なら気にせず流してくれそうだし」で特に気にすることもなさそうなのに。

でも仙蔵もいつもの調子じゃなかったから(メンタルやられぎみ)、いつもなら互いに暗黙の了解で流せることも、気になっちゃったのかも。





③いつもクールで冷静!をウリにしている仙蔵がポカやって、クールキャラというアイデンティティが死んだから
「クールキャラがダメでも、他のキャラでやってきゃいいって!」という旨の励まし


「無くしたものがあるならば、また見つければいい」←仙蔵のキャラ ってことで。
こういうグダグダなメタネタはアニメでやってほしいですね。違うか~!!


このままでは面白くもないネタ発言で終わるから、ちょっと言い方を変えると
「クールで冷静でないと仙蔵ではない ってことではないと思うぞ」ってこと。



④そもそも仙蔵が気にしているもののメインは「小平太のこと」じゃない説

ヘマしちまった事そのものとか!
つまり……実は文次郎ちょっとズレてる説w
でも仙蔵(メンタルダメージ有り)は「そういう事ではない」と否定しなかった説



自分が悩んでいることとはちょっとズレていても、あんな風に明るくあたたかく励ましてくれたら、その気持ちだけで嬉しいし気持ちが楽になりそう!
ぜんぶ主観で言う


文次郎が言う「小平太のこと」って結局何のことかわかっていないから、むしろ次は仙蔵と小平太のふたりの距離の取り方を時系列おって注目してみるべきなのでは!




ジブンノカケラ って結局なによ!
文次郎の頭の中に「ジブンノカケラ」なんてピュアなワードが存在するっていうのかよ!

おおきな概念の世界で、キラキラしたロマンティックな言葉で話をするのが阪口脚本文次郎らしいな~と思ってはいる。


文次郎が「自分らしさ」について言及するところが、とても文次郎らしい!とも思うのは、獅子座の性格に引っ張られすぎなんだろうか。目を覚ませそれは公式設定じゃないぞ……





ジブンノカケラを六いのふたりでハーモニーを奏でるシーンは、「自分らしさ探し」「ありのままの自分の肯定」があって
さらに、ミュ第7弾の主題 だと自分が今ちょっと思っている「絆を結ぶためのに必要なもの:信頼とひとの善意」も表現した
ダブルミーニングなシーンであるようにも感じる 今なら。


第三協栄丸さんの「我々にこどもたちを預けたのは、信頼してくれたからだろ!?」ってセリフが、水軍が警戒していた土井先生たちが見せてくれた「人間の純粋な善意」に目を向けろ!!ってことなのでは!!と思うのです!!


しんベエと喜三太が仙蔵のためにお守りを作ってくれたのも、純粋な善意に突き動かされたアクションだし

もし正体がバレたら水軍から攻撃されるかもしれないけど、でも六年生たちは水軍をドクタケの夜襲から守ったのも おそらく純粋な善意からだし


文次郎が仙蔵を気にかけて元気付けてやったのも、きっと純粋な善意からやったことなんだと
あのシーンはそういうシーンでもあるのだと思っています。



だから 冷静さを失ってやらかしがちな文次郎から励まされても仙蔵はどうなんだ?と思うところはあっても(笑)、素直な善意から励ましてくれるのが仙蔵も嬉しかったのでは、ないかな~。


つまり留三郎が特製で文次郎にお守りをつくってあげたのも、99%は悪意だったとしても残りの1%は純粋な善意からなんじゃないかな、ね!

という風にも言いたいワケです、私は。
本当に留三郎が作ったかどうかは知らんけど(笑)






最初にこのシーンを見たときは「六いの二人ってこんなんだったかァ!?」とメチャクチャ混乱したけど、素直な気持ちで互いに接する二人は本当にキラキラ綺麗であたたかくて……
そんなん好きに決まってるだろーーー!!

思いやりの心で相手に寄り添う二人、すごく素敵だ。



それに、第一弾からの忍ミュでの六いコンビのコンビ仲の描写って……
なんとなく、ロコツにソッチ方面に狙ってません?ってやつが多いようなイメージだったのだけど(キャストのアドリブ?笑)

今回のこのシーンは、そういうある種のやましさに近いものがなくて好感あります。純粋なふたりの純粋な善意に溢れたシーン!



あ、ジブンノカケラで「おれが光を照らすよ」言っている文次郎はどういうこと!?
光源になるってこと!? あまりに偉大すぎる。

ラストで「光に向かって……♪」と全員で歌っているのに、文次郎は既に光源になれたの!?







[追記1/13]



「千の言葉を言えば二つ三つは誰かしら重なるものだ」は、まんま「セリフとられたからって気にすることねえって!」って意味だと見かけて
あ~普通にそれだわ!
でもそうしたら「仙蔵、お前はどうだ?」→ジブンノカケラ の繋がりがわからーーん!
ていうか仙蔵はセリフかぶせられた程度であんなに悩むのか!?(笑)
ドーーン!とやらかしたのをどうにか挽回しようと焦ってたように見えたから あれは。






めっちゃストレートに言ってしまうと「キャラ崩壊」起こしてるよねあのシーンは!(笑)
どうよ、ふとした時にためらいもなく「ジブンノカケラ……」とかいうワードを普通に口にする文次郎って……!w

でも逆に、本来持っているであろう二人の清らかさをロマンティックに脚色したのがあのシーンかな、とも思うので100%キャラ崩壊でもない気がします。


えびちゃん文次郎とかねやん仙蔵の二人だからこそ、見ていてちょっとくすぐったいけど、等身大の15歳のふたりの少年のシーンとして成立したのでは!!と、強く推したい!!!

ニコニコ笑顔であたたかく歌うえびちゃん文次郎にあわせて、一緒に歌うかねやん仙蔵の嬉しそうなこと!忘れられません。

「あと夜空を何回 この六年生のメンツで共に見上げることができるんだろうか……」とミュ第一弾でもの悲しげに言っていた仙蔵が、これから夜がくるたびに じんわり あたたかくなれるような思い出ができて良かったなァ……!
時系列は知りまてん





「仙蔵、お前らしくないなァ?」と茶化すように文次郎が言ってから、「自分らしさ」探しの歌のジブンノカケラを歌って励ますってのが、よくよく考えてみると……ちょっと謎!

いつもクールで完璧でオレ様気質な「仙蔵らしさ」が既に固まっているようで、実は本人は……? っていう話の流れだとは思うのだけど!