忍ミュ6初感想③

【1月23日楽観劇】
初見~二回目観劇時の感想



二回目の幻術シーン(みんな性格が変わっちゃうところ)、「わあ~これヤバいでしょ~~!! よい子がみる"忍たま"でこんなアブない画をつくっちゃっていいのかしら!エヘヘヘ……ウヘヘェ……」とか思いながら疑似トランス体験をしているような感覚に襲われたことを思い出したのですが

「幻術=毒薬による幻覚症状(←私がずっとゴリ押しで言っていること)」の「幻覚」と「毒薬」って
まさしくドラッグでラリってる状態とか そういうことに近い感じだったの!?
なんて思ってしまったりでした!!

つまり伊作と食満はアタマと脳神経をイジられているってことで......。
身体に手は出さなくとも脳を直接イジるだなんて、それってすごいスリル~!(汎用性高い言葉)


あのシーンの特にドクタケタソガレの様子、サイケデリックでトランスしているようなフシギ~な感覚なんだよね~!!
そう思って以降、第六弾初演は「サイケデリックミュージカル」な印象がついてしまった(笑)

八方斎さまとジンベーさまの台詞が合わさって聞こえるアレは音声を合成してイジってるんだよね!?
ナマの声でアレやっていたらすごいな!アレすごいよね!



16巻をはじめとする原作の「幻術=毒薬による幻覚症状」は、ミュの雪鬼の幻術にも言えるんじゃない?と思えそうなことを言っておくと

原作で幻術は「単に寝ボケていただけ」とも言われているけど、第六弾でも乱きりしん伏が幻術にかかった伊作食満の様子を「寝ボケていたようにも見えました」と表現して雑渡さんに伝えていたから、イコールで結べないこともないな~




他人様の「忍術学園内部と外の世界」論を参考にさせていただいたら(勝手に拝借......)
第六弾の劇中に散りばめられたいろんな「ウチ(内)⇔ソト(外)」が見えてきた!!
一気にいろいろ掴めた気がする!


  • ドクタケの「忍タマ六年生&教師相討ち狙い」の幻術作戦(忍術学園勢力の内部崩壊ねらい)
  • 幻術・まぼろし(自分の脳内世界)⇔現実(外の世界、外とのかかわり)
  • 腹の内(実はこういう性格......の部分)⇔表向きの性格
  • "ドクタケに戻ってきた"雪鬼(もとのドクタケコミュニティに戻る)⇔"卒業"を想う六年生たち(外に出ていく)
  • "入学してきた"一年生たち⇔"卒業していった"OBの先輩たち
  • タソガレ忍(タソガレ忍の里の閉じたコミュニティ)⇔忍術学園の面々(全国各地から集まったバラバラ集団・色んな人を受け入れる)
  • 来客の雑渡さんと尊奈門(第五弾では雑渡さんは"新たなる敵!!"だったけど、今回は外から学園にやってくる来客!)
  • タソガレ(内)⇔それ以外のところ(外) そしてどんどん外部の土地もヒトも取り込んでタソガレ勢力(内)を拡大していこうとするジンベー様!
  • 小平太の「伊作、お前は自分のケガの治療をしろ!!心は私が治してやる!!」幻術にかかった"心"(内的)⇔身体の怪我(外的) 

そして
味方(内)も敵(外)も関係なしに「目の前のひとを助ける!」伊作は、これらのウチ⇔ソトの境界すらをも壊すのではないかという予感すらさせる!!

第五弾の「新たなる敵!!」の一歩先ゆく「敵味方の区別のない世界」をめざしているようにも思える。
伊作、おまえってやつは......。 おまえがきっと平和な未来をつくる!!




山田先生の「伊作の人を傷つける事はできない優しさが不運として表れていただけ」って台詞が大好きです。
大好きというか、伊作の人間性が見えてきそうで注目している言葉!


伊作本人が「人助けしようとすると不運が降りかかる」ことに気付いているのかどうかはわからないけど
不運に苛まれても人助けをすることをやめない、自己犠牲を厭わない 自分が傷つくことを恐れないその姿・・・・・・惚れる!!


自己犠牲を厭わない、というより自分が傷つくことを恐れないと言う方が近いかな~と思います。
自分が傷つくことを恐れないのは、伊作は「傷ついても誠心誠意で治療にあたれば、傷は癒える」「人間には傷を治す・もとに戻す再生力が備わっている」と信じているから・・・・・・な、ような気がする!気がするだけです!

どれだけボロボロになったって治療すればまた元気に元通りになれるんだという保証があるから、何回でも傷つくことができるんです。
そしてそれは身体だけでなくて、心に負った傷でも、モノでも、人間関係でも
ひいては戦の絶えない戦乱の室町の世だって人間しだいで修復は可能で、いつかまた平和な世が到来するのではないかという考え。



雑渡さんが「忍タマは可能性だからね」と伊作のことが良い意味で気にかかるのは
ジンベー様や他の城主の、野望まるだしで領土を拡大し最終的にはすべてを治めいくさを鎮圧させる......というやり方ではなくて
伊作の敵味方・支配被支配関係の垣根のない、あくまで他者を1:1のひとりの人間として理解することで
戦のない世界の実現をめざす方法に惹かれているから、なような気がしてきました。

雑渡さんはタソガレの里の者として生まれた以上はタソガレ忍になるしかなかったから
生まれの時点から忍者に縛られていなかったりもする伊作たちが通う いろんなイミでフリーな忍術学園という形態に希望を見出しているのかも?
(だから学園長に敬意を払っているっぽい言動をしたし、忍術学園の味方をしてくれたり)


だから雑渡さんは伊作たちのことを気に入っているけど、だからこそ伊作たちをタソガレ忍に勧誘したりすることはないんだろうな~。
忍術学園の忍タマは戦が絶えない時代に生まれたからこそ、城と城との対立の渦中から一歩離れて現状を見ることができる第三者的視点をはぐくんでほしいと思っています。私が。
雑渡さん自体もそんな誘うようなキャラじゃなさそうだし(笑)



それを食満がサラッと歌の中で「困っている人を助けたら、お前また不運の嵐に巻き込まれるんじゃねえの!?」と言っているのがまたすごい。
歌の中で言うもんだから、余計にさりげなくさらっと、でも「めっちゃわかってる」感がすごい。
食満は伊作のそういうところをちゃんと知ってるみたい。

生徒たちは、生徒たちの中でちゃんと社会集団をつくっている様子が伝わってくるアレコレが好きです。




ドクタケサイドは、土井先生山田先生の顔を見ると幻術が解けると思い込んでいた?(本当にそうだった?)
それともずっと錫杖(と小銭)のシャラーン!の金属音で幻術が解けるしくみだった?
伝子さん半子さんを見ても幻術が解けなかったのは、二人が女装していたから?
それとも雪鬼がかけた二回目の幻術(みんなの性格が変わるところ)に「伝子さん半子さんは五条くんとドクタケ壱のなりすまし」の要素を入れたのはコレの対策?

「土井と山田の顔を見ると幻術が解けてしまうようでは......」に対しての「それについての対策は考えております」の対策って何だったの?とずっとわからずにいたんだけど、ああ~やっとわかったやっと!おそい!!