忍ミュ第10弾再演 感想ツイートログ

【ネタバレあり】
忍ミュ第10弾再演(東京公演)に関するツイートをまとめました。


・最後の競技の時にずっと10キロそろばん(20キロそろばんだったらもっとヤバい)を提げていた文次郎、ドスカラスと対峙する時には提げていた10キロそろばんを下ろしていて、普段は重りを身体につけているけど本気出すときに重りを取るタイプのキャラクターにしか見えなくて笑いを禁じ得なかった。


・10再 四年生アフター曲、マイペースなナルシスト要素が「自己肯定」としてポジティブに描かれているのが素敵だし、「自分を好きになれば世界を好きになれるから、自分を好きになろうよ」と全く嫌味っぽくなく会場の私たちに伝えてくれるのがとても良い……。「大好き」の気持ちはひとをハッピーにしてくれる、そんなメッセージを貰える幸せな曲だ……。


・四年生アフター曲、三木ヱ門に「好き~!! 大好き~!!」って好きの気持ちを伝えられるってそれだけで幸せな気持ちにならない?? 体感型ハッピーソング……。


・四年アフター曲、守一郎が「自分大 大好き、君が大 大好き、みんな大 大好き」と歌えるようになったと思うと涙が出てくる。一族を没落に追い込んだ人々を、この世を指して「みんな大好き」と歌えるようになったんだね……。


・10再四年生アフター曲の四年生13歳ズは「人生楽しもう」スタンスでいるから、それが初忍務完了する前の五年生5人の「楽しみながら 上を目指そう♪」スタンスに似ているなって……。


・ミュ10の忍術学園学園歌もそうべえセンセ作詞だけど、本編で披露されていない三番の歌詞は忍術学園で共に学ぶ友についての内容なんだよね。二番にも「友」の字が登場する。忍術学園は「繋がり」を広げる場所でもあると歌われている気がしてならないんだ。


・ミュ10初演にミュ9の希望の道並のオリジナル解釈二次創作要素が加われば、原作解釈から一歩進んだオリジナル解釈の鬼に金棒的な最強忍ミュになるのにな~!!



・「明日になれば~忘れてる~♪」のところの動き、第二回Wオリエンの三木ヱ門と左吉の「首有り地蔵になっちゃってたの」の動きを彷彿とさせません? 個人的にミュ10で一番落乱みを感じるところ。


・ミュ10の大テーマは「守る」であるにも関わらず百錬では何故「攻めろ 攻め抜け」と言っているのか、「守る」と「攻めろ」は矛盾しているのではないか、その謎を解明すべく我々はアマゾンの奥地へと向かった。

「守る」ための正当化された「攻めろ」なの? 「攻める」の結果「守る」に繋がるの?


・五年生は初演の描き方の時点で「守る者」の側だと思っていた……五年生だけドクタケの動向を怪しんでドクタケに目を向けている描写がされていたから特に……(逆にどんぐりさんチーム 何なんだくらいに思っていた……w)
五年生ももちろん守る側だよオラッ!! お前たち、甘えてんじゃないぞ!守るんだぞ!(かわいい子は崖から突き落とせ思考のオタク)

五年生は初演の描き方の時点で「守る者」の側だと思っていた……五年生だけドクタケの動向を怪しんでドクタケに目を向けている描写がされていたから特に……(逆にどんぐりさんチーム 何なんだくらいに思っていた……w)
受け手の解釈が人によって変わってくるから、考察を読ませて頂くのはおもしろい!


愛しき者よ に参加している時点で五年生も四年生もらんきりしんも「守る者」の側に立っているのだと思っていたけれど……。
六年生なんてもう一年生のらんきりしんに「生きる」「守る」ことを「伝承する」ステージに立っているんだよ。そうじゃないのかなァ。

私は五年生のみんなも未来の「守る者」として見ているからな!! 頼んだよ、不特定多数の民を守る者!! そして「不特定多数の民」の中に含まれる私のことも救ってくれ!

「不特定多数の民(=忍タマたちに救われる側)」の中には私も含まれる。
つまりッ「愛しき者」とは、この私も含まれる「不特定多数の存在」……!!



・いまだにミュ7の時代を生きている人間だから、「愛しき者を守るため……♪」と聞くと、ミュ7の光に向かっての「愛すべきたくさんの人を……♪」の"愛すべきたくさんの人"というワードを思い出すんだよ……。

一年生も未来の「守る者」の側だと思っているからな私は。


愛しき者よ に参加している時点で五年生も四年生もらんきりしんも「守る者」の側に立っているのだと思っていたけれど……。
六年生なんてもう一年生のらんきりしんに「生きる」「守る」ことを「伝承する」ステージに立っているんだよ。



・ていうか皆さん、みゅ10の「愛しき者を守るため……♪」の「愛しき者」って誰のことだと思います?
私は初演からずっと「友人、後輩、先生、家族、ひいては不特定多数の民」という非常に大きなくくりを「愛しき者」と呼んでいるのだと思っているのだけど……。

そして「不特定多数の民(=忍タマたちに救われる側)」の中には私も含まれる。
つまりッ「愛しき者」とは、この私も含まれる「不特定多数の存在」……!!

家族、友人、後輩、想い人 なんかの身内への情の「情愛」から、不特定多数への「博愛」へ昇華されるのが好きなもんだから……。



・追加シーンの伊作が百錬の伊作パートを乱太郎と一緒に口ずさんだ最後の伊作の「さあ、行こうか」、百錬の伊作の「一緒に行くよ!」を思い起こさせるのがニクい演出。これがミュージカルの演出だ。

百錬(武器紹介曲)の各キャラのパートはキャラクターの自己紹介のようで、実は六年生のみんながそれぞれ「こうありたい」という自身の目指すところ、信条を歌っているとしたら熱いものがある……。



・みゅ10 玉打ち?玉投げ?の五年生チームの時に「何度打ちのめされてもてっぺん目指せ~遠く離れていても心はひとつ~♪」と超爽やかメロディが流れるのが爽やかすぎて泣けてきてしまうな。


・みゅ10CDの忍たまわっしょい、らんきりしん×2で歌っているとなると、いよいよ忍たまオールスターズで忍たまわっしょい感あるよね~賑やか。


・みゅ10のCD、セリフが多くて曲はドラマティックでドラマCDを聞いているかのようなボリューム。2019年の買ってよかったもの大賞を贈呈します。おめでとうございます。


・包帯は武器にもなるし、命を守るものにもなる……(普通 逆なんじゃ?)
仲間を守るために武器にも医療品にもなる包帯と、仲間を守るための武器となるし人を殺める暗器にもなる苦無の対比……。


・どんなに苦しい戦いの最中でもけして希望を忘れない忍タマたち、尊いな……そうなんだよな、みんな どんなに苦しくても、いつか必ず涙は渇くと信じているんだよな……。


・勝負事にはこだわる小平太くんが、伊作がゴールを切るときのゴールテープをたすきで作ってくれるところ、何度見ても泣きそうになる。


・守るために闘うのか、本心は闘いたいのだけど「守る」という名目で闘っているのか……うーん。