忍ミュ第8弾再演 感想(主に忍タマ編)

【!!ネタバレあり!!】

 忍ミュ8再を観てきました。

感想が長くなったので主に忍タマ編(だいたい忍タマ中心の感想の意)と水軍編で分けます。

↓水軍編

 

 

2017/6/23(東京公演)

 

 

 

おそらく過去最高にGロッソ⇔サンシャインでの演出上のギャップが大きかったであろう8弾再演。

先日放送されたアニメで文次郎が秘密の訓練場所の高く高くそびえ立つ絶壁にロマンを感じやる気を奮い起こしていたけれど、初演のGロッソステージもそんなふうに「この目の前に立ち憚る絶壁を乗り越えるんだ……!!」と覚悟を決める五年生五人の気持ちを観客が追体験できる舞台だった。

絶壁の遥か彼方で構える六年生の先輩、水軍衆の兄きたち、そして倒さねばならぬ敵・八方斎……。

そして最初は落ち着きがなくて子どもらしく微笑ましい五年生たちも、気が付いたら観客からはるか遠く高くのもう手が届かない高みに到達している。

 

そんな 初演ver.のGロッソステージではなくなりダイナミックな物理的・心的距離感を演出として使えなくなった第8弾は

初演とは「描きたいものがまるで変わってしまった 」部分もあった印象です。

登場人物の配置ひとつの違いでいち観客が感じた物語はここまで変わってしまう。そんなことも織り混ぜた感想を述べていきます。

最後まで大体こんな感じの感想が続きます(隙あらば文次郎の話をしはじめる)

 

 

OP:飛翔のフォーメーションがまず変わりましたね。人物を配置できる段の数が半分以下になったゆえに、最前列に来る人物を入れ替えて見せていくしかなかったのかもしれない。

 

サビの翔べ!翔べ!に入る直前で一瞬 最前列で踊っていた文次郎がにっと明るい笑顔を見せたから、ハッとして ドキッとした。

ここで笑顔を見せるんだ!!という驚きが一番でした。皆がきりっと凛々しく真面目な面立ちで、何度でも這い上がりいつか頂上に辿り着いてみせるという強い意思を表現するシーンだと思っていたから。

サビの直前だから「でもそんな時 仲間の鼓動聞こえてくる」と歌った時かな。

苦しい境地を共に闘う仲間の鼓動……同級生・後輩たち・先生方の皆がドクンドクンと鳴らす心音をけして止めてはならん!おれには守りきらなくてはならない存在がある!という意味なのか、それとも疲れ果てたら手を差し伸べてくれる仲間がいるということなのか。きっと両方なのでしょう。僕らの時代の「ふと振り向けばずっと 見守る仲間がいたよ」も自分が見守るのか自分が見守られるのかがわからなかったのですが、きっとその両方なのでしょう。

お前の痛みをおれたちが受け止めてやる、両手広げて受け止めてやる!と己が傷付くことを恐れずに仲間のために闘い、失いそうになった仲間を再び取り戻せた。

誰かを見つめる自分の笑顔を見つけ、新たなフレンドシップを結び 守るべき仲間が増えた。

長い道のりを走り階段を駆け上がっていった過程でそんな経験をした文次郎は、共にいてくれる仲間がいかに尊いかを学び 己が闘う意味を見つけたのかもしれない。だから「孤独に痛みを耐えているとき 仲間の鼓動が聞こえてくる」と歌ったときに笑顔を見せたのかも。

「こんな時にこそ」という時に笑顔を見せることができるようになった文次郎は今までよりもっと強くなった。笑顔見つけた文次郎は強くなった。

あのタイミングで笑顔を見せることが意図した演出だったのかはわかりません。

 

話を戻します。(つまり今のは寄り道話でした。寄り道が長い)

 いま話したように、再演ではOP:飛翔で文次郎が そして仙蔵が最前列に来ます。

初演OPの最後のフォーメーションでは最前列で踊るのは五年生の五人。初演OPの最上段まで全て使ったフォーメーションでの"最前列"とは「ピラミッドの土台」。言ってしまえば最上段の襲いかかってくる脅威(八方斎)と水軍衆・文次郎仙蔵が上段に そして一番したっぱの五年生たちが最前列に来る。

そして何より、最前列は今回の物語の主役が来るポジションだと認識していました。

再演のサンシャインステージでは舞台上段と下段が後列・前列 前列がそのまま先頭となる。だから再演OPは主役の五年生たちがいた最前列のスペースに文次郎と仙蔵が来ていいのかなとびっくり。歌の終わりの「翼折られても 諦めずに空を見上げろ~♪」までずっと文次郎が最前列にいたんだもの。

このOPを見たら ミュ8は五年生の五人が主役の物語ではなくて六年生が五年生を先輩として引っ張っていって"忍タマ上級生チーム"が問題解決に挑む物語だったのかな!?と誤解してしまいそう。六年生贔屓で言っているつもりではないです。いいのかな、単なる私の思い込みかな。

 

そして今さらな感想ですが、水軍衆がドクタケに沈められてから「手に届きそうな夢~掴めずに 唇 かみし~めた~♪」とOPが始まるのでモロに 奇襲にあった水軍衆の苦い思いと消えない闘志を歌っているのかと錯覚します。

 

ドクタケッ水軍ッここにっあり!やっぱり手旗信号をふっていたんですね!(8再パンフ幹山さんコメント参照)

海テンションあがる~!!もちろん手旗信号わかりません。ミュ8のドクタケはすごく脅威なのに歌がおそろいの青のスカーフが水兵さんテイスト満載でかわいい。

忍者隊が水軍も兼ねるのは大変そう。でも忍者のスキルも水軍のスキルも極めた忍者隊兼水軍はものすごく恐ろしいかもしれない。

 

 

五年生自己紹介ソングの 豆腐愛で(中略)生き物好きの五年生~!でぐるぐる回って自己紹介するダンス 五年生のみんながぐるぐる現れるのが楽しいな~ここ好きだな!

でも、でも、でも、でも~!初演の傷を負った水軍衆を介抱する五年生と歌詞の「やれること やってみるよ」で描かれていた 自分が皆のためにできることを自分なりに考えて動こうとする五年生の考え方が大好きだったから、それがなくなってしまって寂しいな。

介抱する演技を入れると演技の尺に合わせて歌の長さが決まるから、歌が長ったるくなるのかな。

そして「楽しみながら~上を目指そう♪」の振り、めちゃくちゃトップに登り詰める意識が高いポーズしている。楽しみながらってもんじゃない。ポーズがガチ。

 

竹谷くんに髭が生えた!のくだり、大好きな漫画『摩利と新吾』のまりくん(17歳のクールな眼差しが印象的な美少年主人公)の「待望の髭が(ついに生えた)!」を真っ先に思い出しました。

麗しい美少年の顎に髭が生えるということが一体何を意味するのか……そう、主人公のまりくんは美少年だけど紛れもなく人間なんです。美少年でも人間だからものを食べたら排泄するし脛毛もヒゲも生える。人間の美少年は数年後には美少年ではなくなるのです。話が反れました。

そんなわけで、まだあどけなさが残るかわいらしい竹谷くんの みずみずしくてふっくらとしてつるんっとしたお肌のお顔にもおひげが生えてくるんです。竹谷くんは紛れもなく人間の男の子だからです。人間の男の子だから「風呂入ったあとに厠行ったら損した気しない?」という話で盛り上がれるのです。

どうか時よ止まって!どうか大人にならないでずーっとかわいらしい14歳の男の子の竹谷くんのままでいて!私はかわいい男の子の竹谷くんをいつまでも見ていたいの……!といくら思っていても、竹谷くん本人がヒゲが生えたことをとても嬉しそうに話しているし早く立派な大人の男になりたいと願い 一日でも早く大人に近付こうと一生懸命背伸びしているのだから、私にそれを拒む権利がどこにあるというのか!むしろお赤飯炊きます。竹谷くんの成長を止めて良い者は全世界に誰ひとりとして存在しない。もちろん竹谷くんだけじゃなくて五年生のみんなも他の忍タマみんなもね。

背丈も精神的にも大きくなった時には、きっと今見えている世界とは違う景色が見えるはず。その移りゆく景色の変化を共有して語り合える仲間がいることは何よりも幸せだ。

 

「今回の忍務 ぼくたち本当に務まるのかな……」と雷蔵が言い出した時はダウナー雷蔵入った~!だったけど直後に「越えていこう~挫けても~♪」とみんなが歌い出したから じゃあ大丈夫だな、と思いました(笑)

不安があるのもわかるけど、ダウナー雷蔵のこの発言はみんなの士気を下げかねないぞ。今回は「越えていこう~♪」だったから良かった。まじめな人柄だから素直に 不安だな、怖いなと自分の気持ちを表現したんだろうな というのが伝わってくるのが雷蔵のいいところです。

思考がダウナー系だけどいつもにこにこ笑顔で朗らかに振る舞える雷蔵が大好きです。選択肢をいくつも提案できる柔軟な視線とベストな選択を導き出そうと思案を巡らせていると考えたら、悩むことは悪いことばかりじゃないと私も思う。でも決断が遅かったがために敵に隙を与えてしまったり、みんなの士気を下げる発言をしてしまったりはちょっとよくないな。

「右から攻撃しようかなぁ?」とか言っている間にみぞおちをやられて倒れる雷蔵はアホみたいに雑魚くて笑いました ごめん。ヘマした内容があまりにもザコすぎて「ぼくがあの時悩んじゃったから失敗したんです ごめんなさい……!」とずーっと気にして謝っている姿が哀しかった(笑)

第七弾でカッカプン蔵してポカした仙蔵はどんどん肩身が狭くなってしまって耐えきれずに、ほんの少しの時間だけど六年生のみんなから距離をおいてしまった……。失敗しても素直にすぐにみんなに謝れて、後々に失態が原因で五年生のみんなとの人間関係にこじれが出てこない(ように見えた)のは雷蔵と五年生のみんなの関係性の良さでもあり強みでもあると感じた。仙蔵は第7弾で「私は自惚れる故に視野が狭くなるし素直に謝れないからダメだ……」と自己嫌悪に陥ってしまっていたから。仙蔵もそれに気付いて成長できたから良かった。

 

文次郎と仙蔵の先輩ソング やがて大人になっていくだろう~♪はなんで踊るんだよwwww って歌の間ずっと笑ってしまった。その発想はなかったww 斬新だわ……謎ダンスだわ……じゃあものおもいに耽りながら夜空を見上げて歌う方がいいよ……w 曲にアレンジ入っているのもダンスするからなのかよ……(笑) 見守り方が変に積極的すぎる。六年い組のふたりによくある末路を見た(ツッコミ不在) 五年生たちにより寄り添っているということの表現としてのダンスなのかとも思ったけど、今はただ~♪謎です。

むしろ私がダンス覚えて「やがて~大人になってゆく~だろう~♪」「今はただ~見守ってやろう~♪」って歌いながら踊って忍タマのみんなを見守りたいです。歌って踊って忍タマ少年たちの成長を見守る少年フェチオタクの誕生です。どんな見守り方だよ。

 

 

初演ver.の船底に穴あけて安宅船を沈没させる全フィジカル解決法は「地味じゃね?」とか「ほうろく火矢×2 点火させればいいじゃん!?」とか「袋鎗の先っちょでつんつんしたってヒョウ刀(漢字が出ない)でチョンチョンつついたって意味ねえだろィ!」とかツッコみつつも、歌詞と行動がリンクして 船底に穴を開けるみんなが道を自分達の手で切り開いているように見えて そういう意味で好きでした。船底に穴が開いて一気に水が入ってきた時は やった!!希望が繋がった!と目が輝く。

再演ver.はそれがないかわりに、舟で逃げる忍タマと水軍衆のみんなで前を向いて「僕らの時代は~僕らが刻む~♪」と歌うアレがカッコいい。みんなが乗っているのは大きな船でなくて自分で櫂を漕いで進む小舟だから、自分たちの手で前へ前へと進んでいて それが歌詞とリンクしていて◎

【6/30追記】

「立ちはだかる壁高く さまよう海原広く……♪ 突き進む 闇は無限」「だから手と手取り合って 走り出すのさ」、広い広い大海原で己の手で櫂を漕いで前進するイメージが重なります。海のど真ん中にひとりぼっちで舟を漕いでいたら死の恐怖に押し潰されてかえらぬ人になってしまうかもしれない。でも皆がそばにいて皆で手と手を取り合って希望の光に向かっていけば、どんな大嵐でも「みんなを守らないと!」「みんなが勇気づけてくれる!」と乗り越えられるかもしれない!

 あ!これ ジブンノカケラの答えにもなっているな!?第8弾でさらなるアンサーがきた。

闇さまよってた……♪というか実はずーっとずーっと闇は無限に広がっていて、ずっとその闇を駆け抜けていかなくてはならないということだった。でも真っ暗闇の中のちいさな星の瞬きのような光を照らしてくれる仲間がいる。すぐそばにいるのかもしれないし、遠く離れたところから光を(マルナナがパカパカして情報伝達したアレみたいに)光信号のように自分に送ってくれているのかもしれない。でも「光照らすよ おれがそこにいる……♪」と歌っていたから、光信号ではなくてがんどう提灯で文次郎は遠く離れたところから仙蔵に光を送ってくれているのかもしれない。ジブンノカケラから全員出動の段になってまいりました。それとも「帰ってこい~おれたちのいる場所へ~♪」の感じなのかもしれないとも思い始めました。今度は第6弾になってしまった。

 

最後のみんなが舟で逃げて水軍館に帰ってゆくシーン、ガンダムオルフェンズを見たばかりだったので アジーねえさん達の船で密輸してくれる「希望という船を出そう……♪」を思い出しました。胸いっぱいに「生き延びたい」という願いを抱えて船で進んでいく切実さがどちらにもあって……。

"希望"は"いのち"に直結する切実なものであるのだと身隠しの盾オーディション編で学びました。

 

ハンマーを投げて仲間にパスする演出はカッコいいけど、バカデカい割に軽々と投げられるハンマーを見て今度は「こんな軽いハンマー使っていて穴あくか?」という新たなツッコミが生まれた。

 

仙蔵特製の宝禄火矢水中用、仙蔵と舳丸のほうろくタッグが完成形に到達した~!六年生×水軍衆がトドメの一撃をおみまいする展開になったこともあって、ミュ8の物語は「五年生の五人が本気の自分と出会い高みへ登り詰める物語」から「五年生が六年生の先輩や水軍衆の兄きたちに助けてもらい少しずつ成長してゆく物語」へと印象が変わりました。

 

第8弾を初演再演と見た今 希望を言うとすれば……

雷蔵三郎は安宅船編に出てくるし海賊さん知識もあるんだから、ミュでもそんなところが見れたら面白かったかもしれないな~!でも久々知竹谷尾浜と平等じゃなくなっちゃうのか。

そして、次はらんきりしんと次の主役の上級生たちが協力して事件を解決するストーリーが見たいです。